2011年03月
2011年03月24日
・・・・・・・・そう云えば、九州で噴火してたあの山、その後どうなったんだろう・・・・・・・・・・








先日、だるま食堂さんと多田慶子さんとかもねぎショットの合同公演の稽古がありました。稽古の始めは身体ならしも兼ねて、だるま食堂さん提案の「バレーボール」。これがまた、盛り上る盛り上る。平均年齢●十歳、女子七人

ビーチボールにおどらされる女子七人の図

その日は、大変お世話になっている永山さんがいらして、差し入れにとても美味しいシュークリームを頂きました

そのシュークリームも色々な味があった為、争奪戦になり、二順目は人数分足らなく、更に激しいジャンケン大会。拳を降り下ろす度に一喜一憂。
差し入れのシュークリームにおどらされる女子七人、平均年齢●十歳の図

帰りは突然の大雨。予想外の為、大半が傘を持ち合わせていなかった。「傘を買いに行く?」、「止むまで待つ!」、「レインコートも持ってる!」、「傘を必要としてる人は何人?」等、てんやわんや。端から見たらオバちゃん達の井戸端会議。代表者2人が傘を買いに行ったのを見送り、待つ事暫し。すると雨が止みだした事に気が付き、又もてんやわんや。買いに行って下さった2人に電話だっ!「つながった?」「駄目!」「あたしも電話してみる!」バタバタしてるうちにお二人様御帰還。。。。。。。。。。。。。。手には数本の傘。。。。。。。。。。。。

雨におどらされる女子、平均年齢●十歳、世間から見たら立派な大人の図

2011年03月13日
地震
甲府は震度5でした。私は、ホテルに設置された「大盤解説会場」にいて、集まっていた地元の囲碁ファンの方々が悲鳴と共に庭に駆け出す波に押されたものの、ほどなくして揺れも騒ぎもおさまり、「記者室」と呼ばれる関係者が集まる部屋に戻りました。
張栩棋聖と井山裕太名人の対局は、8分中断の後に再開。地震は「ちょっとした話題」でしかありませんでした。東北から関東にかけた惨状は、記者室で音声を消されたテレビ画面から少しずつ知らされていきました。
「一体何が起きているんだ!?」「東京の誰に電話をしてもつながらない!」「テレビの音を、少しぐらい大きくしても大丈夫だろう」
記者室内は、テレビ画面の前から動けなくなった面々と、碁盤を囲んで対局の検討に没頭するプロ棋士たちと、大きく二つの山ができあがったものでした。
記者室内での七番勝負の「観戦」という時間は、独特な緊張感と雑多な興奮状態の中にあります。この非日常に身を置いていると、目に入ってくる「大津波が家屋を畑を車を飲み込んで進む映像」は、現実のものとしてなかなか消化されていきません。「大変な事が起きている」のは頭ではわかるのですが、まるで実感がともなってこないことに、私は苛立ってきました。「これではまるで、同時多発テロの映像を見ていたときみたいだ」
進行中の対局はアマチュアにはあまりにも難解な進行をたどっており、棋士たちの検討に目と耳を傾けていないとサッパリ理解できなくなります。盤面を写したモニター画面からも目を離せないわけですが、ここに加えて、地震の影響でしょうか、新聞社の方から、〆切繰り上げの伝達。「少しでよいから原稿を今日中に。対局が終わるまでに提出して」とのこと。私はまず検討についていくことをあきらめ、次には盤面の進行を追うこともあきらめ、パソコンに集中していきました。その間も、私の耳元にあったテレビ画面からは刻々と惨状が伝えられていましたが、やはり、実感はともなってこないのでした。
終局は21時近く。インタビューや片付けの後に1時間ほど解説を聞き、打ち上げの席に遅れて加わり、部屋に戻ったのは24時過ぎでした。短い電話(途中で切れてしまった)やメールでしかやりとりできなかった友人知人に電話がつながりました。母が一人では歩けないことを知っているため、皆「お母さんは大丈夫だった?」と心配してくれました。一年以上も会っていない方から「車で行ってあげようか?」と言っていただいたときには、唐突な優しさにグラッと揺れました。さらに母から「栗ちゃん(かもねぎの栗栖)が、オートバイを走らせ家まで様子を見に来てくれた」と聞くとグラグラです。深夜テレビをつけ、そのまま寝入ってしまい、緊急地震警報と直後の余震に二度目を覚まし、早朝の三度目の警報に起き上がりました。「この程度の体感では、地震を経験したとはいえないのだろうな」とぼんやりした頭で思いました。
12日、ドンコウを乗り継ぎながら東京へ向かう途中、日経新聞を購入。「春秋」欄を読み、いきなり号泣したくなりました。人目があるので慌てて涙をぬぐいました。ようやっと実感がともなったときでした。
2011年03月11日
2011年03月09日


囲碁棋聖戦七番勝負の第六局目の観戦記を担当。対局地、甲府に向かう車中は、張栩(ちょうう)棋聖の隣の席だった。少し緊張。張栩さんからも話しかけていただいたりして、しばし会話がはずむも、やがて張栩さんがイヤホンを取り出したのを機に、私は仮眠態勢に入った。音楽を聞いているのだろう張栩さん。かすかに指が動いているので、私は「対局した碁を思い返しているのかも」と思い、私も「何か思い返そう」と思った。
そこで、先週、今年度の授業を終えたばかりの高校の生徒たち40人の名前を一人ずつあげていくことにした。出席番号順に。ところが、38人とか39人になってしまう。誰かの名前を思い出せないわけではない。それが証拠に、発表会の演目順に「夏芙蓉」に出ていた4人は…、「人魚姫」に出ていた5人は…とキャストと照らし合わせて名前をあげれば、すらすら40人言えるのだ。そうかそうか、さっきは○○さんを忘れてたんだと、もう一度出席番号順にトライするも、またしても39人。ええい、今度は誰を忘れてしまったんだ。
と、やおら張栩さんがカバンから小さな缶を取り出した。見ると蓋に手書きの四路盤が貼られており、缶から取り出した2色の丸いマグネットをその盤に並べ、形が出来たところをカシャッと写真におさめ、また別の形をつくってカシャッ。これを繰り返している。なんと、さきほどから張栩さんは頭の中で四路盤の詰碁の問題をつくっていたのだ! 「あー、記憶力が」と張栩さん。「頭の中ではすらすら問題ができるのだけど、並べるときには忘れてる」と笑う。「並べるより、頭の中の方が問題をつくりやすいんですよ、ちょうど、四路盤だと大きさがぴったり頭にはまるから」。
ああ。こうやって、寸時も惜しんで創作に取り組むものなのだ。出席番号順に名前を思い返している場合ではないぞ!
問題づくりにいそしむ張栩さん。2011年03月08日
泣く事をあまり良く思えない。良い涙もあるが、自分が流す涙は大抵良くない涙だ。
中学生の時、担任の先生から箒の掃き方を注意された。本当に注意だ。別に叱られてる訳でもなく、イヤミを言われてる訳でもない。なのに、泣いてしまった。全然、全く、泣く程の事ではないのに・・・・・。
小さい頃、泣いている子がいると必ずといっていいくらい、「どうしたの?」「大丈夫?」と花に群がる油虫のような子供がいた。自分はそんな子が苦手だった。
『泣いている』という周りの子と、違う行為をしている事にプレッシャーを感じ、早く涙を隠そうと頑張っている時に、油虫のような子は好物の蜜に群がる。
「何で泣いてるの?」
これこそ禁句!!涙を止めようとしてる所に、流す原因を思い返させてどうするっ?!
善意で慰めてくれてるかも知れないが、自分の場合はほっといて欲しいものだ。
何故、「泣く」という感情の話になったかと云うと・・・・・。
長くなりそうなので、またの機会に。m(_ _)m
